< 戻る

音響・映像における非−定型性の実践

要旨

本稿は、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻の修了制作作品である私の作品のコンセプトと手法の解説、またその背景となる、90年代後半以降の音響と映像の非−演出的、非−作曲的、非−作品的な実践を紹介することを目的としている。
第一章は音楽に関連して、コンピュータを用いた「即興演奏」の形態である「Lap Top Orchestra」を取り上げる。ここでは主に音楽の偶然性の問題を、「聴取」の側面から扱っている。続いて(音響の)「編集」テクノロジーが、作品の全体を構想すること(作曲)と、実現すること(演奏)の区別を失効させてしまう可能性について考察する。特に、それをポジティブな方法論に転換させる実践の例として、90年代後半以降の辺境的な音楽のひとつの呼称である「音響派」を紹介する。
第二章では映像と音響派のクロスオーヴァーする領域、あるいは「音響派的な」態度に基づく映像表現の実践を紹介する。ここでは第一章の非−作曲/非−作品と同じアイディアを、映像においても非−演出として見出すことを試みている。続いて、映像(イメージの言語)の象徴性に対する抵抗的実践について述べる。ここでは、情報量の過剰(ないし過小)によって、描写(「想起したのちに描く」態度)や意味の放棄に向かってゆく表現について考察する。全体的構想の放棄は、音または光の即物的な働きを重視することを意味する。
第三章では、このような背景と文脈のもとに計画された、修了制作作品(音と映像のライブパフォーマンス)のコンセプトを記している。本作品は(ひとつの結論と方向性を回避するために)「運動」を手段として用いながら、「作品」や構想者としての「作者」がその存在の輪郭を動揺させる地点を目指している。このアイディアと手法の大部分は、本稿の最後で紹介する、即興演奏ユニットpico pico stomachsと、映像と音楽のパフォーマンス・ユニットFONOTIACの実践を通じて得られた。