コンピュータを用いる音楽家が多人数で即興的に「演奏」する試みは、近年、代表的には例えば「Lap Top Orchestra」と称されるスタイルによって2000年代初頭から数多く試みられてきた。Lap Top Orchestraはウィーンのレーベル「MEGO」のピーター・レーバーグ(ピタ)のアイディアによって開始されたものが発端であるとされる[1]。日本における大規模な演奏例としては、2000年11月の青山CAY(ディスコム、ポート・ラディウム、ピタ、ヘッカー、カールステン・ニコライ、トマス・ブリンクマン、チックス・オン・スピード、池田亮司、竹村延和、メルツバウ)、2003年6月の六本木ヒルズアリーナ(クリストフ・シャルル、半野善弘、青木孝允、加古祐三、細海魚、成田真樹、NIBO)などがある。Lap Top Orchestraは、その他の音響・エレクトロニカのイベントやメディア・アートの展示会等においても、多くの人々によって、度々実施されるようになっていった。しかしコンピュータによる音楽家の「インスタントなセッション」は、必ずしも充実した音楽的な「結果」をもたらすわけではなかった。それは、多人数による即興というアイディア自体がそもそも、コンピュータによる「演奏」において「一回性」がどのように可能か、という演奏する側の問題意識によって支持される側面が小さくなかったからであると考えられる。すなわち、それは直接的な意味でのプレゼンテーションや表現よりも、その場に由来する事件性を問題にしているのではないか、ということである。
コンピュータによる作曲、演奏、即興における音楽家の創造性は、その前提であるコンピュータの計算の完全性と反復性に対するアプローチの違いにより、大きくその在り方を変える。Lap Top Orchestra等に見られる、多数の主体と、即時性を重視する姿勢を最初から抱え込んでいるセッションでは、ソロやデュオの場合よりもさらに強く、人間の判断の曖昧さと複雑さが、機械の完璧な遂行とコントラストを成すように思われる。
六本木ヒルズアリーナにおける、クリストフ・シャルルのスコアリングによるLap Top Orchestra(2003年6月)は、あらかじめ演奏時間の進行に対して、音のテクスチャ、速度等の変化を記述した「スコア」を演奏者たちが共有し、それに基づいて演奏を行った。スコアには、各パートの音響的特質(テクスチャ、速度、密度等)が次々に変化するように記述されているが、その具体的な水準での解釈は、各演奏者に全面的に委ねられている。従って、「スコア上は」同じ音響的特質が指示されていても、演奏者が異なれば、同じ結果が得られることはない。スコアリングされたLap Top Orchestraでさえも、実際に演奏を開始するまでその内容を予測することは不可能なのである。
久保田晃弘によるLap Top Quintet、nu: Orchestraは、2003年頃から各演奏者の音楽生成ソフトウェアと、映像の解析ソフトウェア等を、音声データではなく抽象化されたリアルタイムに変動するパラメータで接続し、そのパラメータを各演奏者が自由に解釈し演奏するという、数値作曲に基づく演奏ともいうべき共演を試している。その方法においては数値を介した音声−映像の横断も可能になっており、スタン・ブラッケージなどの映像作家の作品から抽出された数値を、音楽に用いるパフォーマンスも披露されている。
初期のLap Top Orchestraでは演奏者のコンピュータを一列に接続し、音声データを加工しながら上流から下流まで受け渡していくような形態も試された。これはいわば、ひとつの音響素材から出発して、各音楽家が連続した回路の一部となり、音声を共同で「トランスレート&モジュレート」する手法である。この方法では、最上流、あるいは最下流の操作において、結果として得られる音全体に対する決定的な関与が許されてしまっている。そのため、少なくとも演奏者の体験する「事件性」は、相対的に低いものであったと考えられる。